時間が過ぎるのは早いもので・・・。

 もう九月も半分を過ぎた。八月になったのもつい先日のようなのに。時間の過ぎるのは速いものである。会社に入った頃は1日1日が長く、それがいつしか一週間単位で仕事をするようになり、今では一ヶ月単位で仕事をしているようだ。こんな調子では老衰してしまうのもそんなに先ではないなぁ。嫁も見つけてないのに…。
 どうして時が経つのが年々速く感じられるようになるのかという問題についても諸説あるが、例えば、同じ一年間でも、今まで生きてきた人生との比率で考えれば年々短くなっているわけで、だから年とともに時が早く経つように感じるというのがある。なるほど。確かに一年間しか生きていない人にとっての一年間は今までに費やしてきた全ての時間と同じだけの長さだけど、100年間生きてきた人にとっての一年間は今までに費やしてきた時間の1%でしかないわけで。ということはつまり、記憶喪失になってしまえば、また時間を長く感じることができるということか!? すなわちこれは、実質長生きしたのと同じこと。いやまてよ。過去の記憶がないということは、記憶を失うまでに過ごした時間は無かったも同然だから、生きている時間が実質短いことになるのか!?
 楽しいことをしていると時間がすぐに過ぎ去り、嫌なことやつまらないことをしているときは時間を長く感じる。これは恐らく多くの人に共通する感覚だと思う。(仕事をしているとすぐに時間が過ぎてしまうのは、好きだからでなく、歳をとったからでもなく、忙しすぎるせいだと信じたいが…。)それでは人にとって最も嫌な時間とはどんな時かと考えると、やはり死ぬ直前だろう。人は死ぬ瞬間に人生を走馬灯のように思い返すというが、つまりそれは、死ぬ瞬間のわずかな時間がこれまでの人生分ほどの長い時間に感じられるということだ。ならば例えば、世の中に絶望して飛び降り自殺しようとしたならば、地面に叩きつけられて死ぬ直前の恐怖を、今まで生きた時間に等しいくらいの長い時間感じていなくてはならないわけだ。そんなに長時間の恐怖に耐えなくては自殺できないのならば、苦しくても生きていた方が、結局は苦しむ時間は少ないということか!? それとも、寿命を終えて大往生する瞬間もやはり一生分ほどの時間を苦しまなくてはならないのか!?


 まぁ、日々忙しく生きて、時間がない時間がないと騒いではおりますが、こんなくだらんことを考えるくらいの暇はあるわけですよ。