消費税の話

 前回のブログ絡みというわけでもないのだが。小泉内閣も終わったところで、今度こそ消費税が上がることは間違いない。後はいくらになるかというところだが。もちろん私とて好き好んで税金を払いたがるようなマゾではないが、それでも、「払いたい・払いたくない」の問題でなく、「払うべき」時というのはあるのだと思う。
で、私が思う「払うべき」消費税は最低20%だ。
そもそも国の借金がどんどん膨らんでいるときに5%だの10%だの、そんな悠長なことを言っている暇はないと思う。借金をなくすためには利息を払っているだけではだめなのだ。元金を減らさなくては。それも、何百年後とかいう非常識かつ無責任な返済計画ではなく、我々が生きている間に返済できるような計画でないと。
「今の大人たちが作った借金をなぜ我々が返さなくてはならないのか」という輩はとんでもない大馬鹿者だ。今の大人たちのおかげで今の我々は食うに困らない生活ができている。消費税が20%になっても、本当の意味で食うに困る人間はそんなには現れないはずだ。例え借金がゼロだったとしても、戦後60年未だに主要な産業もなく食っていけない生活を強いられていたなら、そちらの方がよほど困るではないか。もちろん、経済成長を成し遂げることと国が借金を抱えることとは別問題であるが、何もかもがを自身の都合にいいような世の中になっていなければならないと言うなんて、お前どれだけ偉いんだ、って話である。
「消費税を上げる前に無駄な支出を国はなくす(減らす)べきだ」という輩は逃げ口上を述べているに過ぎない。そもそもどんな組織であれ、無駄を完全にゼロにすることは不可能だからである。人は皆考え方や価値観が違い、私欲がある。全てを見通す目を持っている者もいない。意図的であろうと気付かずにであろうと、どちらにしてもゼロにはならない。ならば、せめて減らすべきなのだろうが、ならば具体的に無駄がどれだけ減ったら消費税を上げてもいいと言うのであろうか。無駄というのはどれだけあるか分からないものであり、当然全体の総数が分からないのだから、無駄を何割減らしたなどと言うことは不可能である。同時に何円無駄をなくせばよい、と言うことも無意味である。知られていない無駄が100兆円あったとしたなら、1兆円の無駄を減らすだけで充分だろうか。5000億円しか無駄がなくても1兆円の無駄をなくせと主張し続けるのだろうか。もちろん、無駄を放置しておけという意味ではない。消費税を上げた後も、無駄を減らす弛まぬ努力を続ければいいのだ。



むしろ消費税は逆の方がいいかもしれない。30%くらいに上げておき、無駄が減るたびに減税していくとか。そうすれば、とりあえずの増税で借金は減少に向かい、国民も国の無駄な歳出を減らすように厳しい監視を続けるだろう。年度が替わると官報に、昨年度なくした無駄が細かに記載され、例えば総額2兆円の無駄をなくしましたので消費税を1%引き下げます、とか発表されるわけだ。まぁ現実的には、1%単位でちょこちょこ変動したならば、ありとあらゆる値札とか帳簿とかが大変だし、知らぬうちに無駄が増えていても前述したように無駄は無駄と分からないので、その分増税という手段が取れず、何十年後かにはまた困ったことになるかもしれないが…。