科学の進歩

世界水泳で、日本勢がなかなかの健闘を見せている。さすがに自由形だけは日本新くらいの記録を出しても世界レベルにはまだ届かないが、他の種目はまずまず戦えるレベルなので、もし自由形に世界レベルに届くくらいの選手が現れれば、メドレーリレーで金だって狙えるようになる。

ここ数日のYAHOOニュースで目に入った言葉で印象に残っているものをなんとなく組み合わせて上のようなことを書いたわけだが、基本的にスポーツに関心が薄いので、前述した内容があっているかどうかも気にしていないのだが。で、本題はここからで。
水着の技術が進歩し過ぎた為、記録や勝敗が道具の良し悪しに影響されるようになり、水泳を却ってつまらなくしている。そういう論議が時々見られる。これらの論は特段目新しいものでもなく、水泳界に限った話でもない。陸上競技とかゴルフとかでもそういう話は聞いたことがある。確かにそういう部分は一面の真理であろう。ちょっとその種目を齧っている人が良い道具を使ったからといって、普通の道具を使ってる世界レベルの人に対抗できるようには決してならない。しかし本当に頂点中の頂点を極めるレベルだと、コンマ1秒の争いになるのだ。コンマ1秒くらいなら道具の良し悪しで差が出るかもしれない。しかしこれはやむを得ないことだろう。どんな制限を設けても、その制限の範囲内で良し悪しは存在するし、それすらも駄目だと言うのであれば、後はもう全ての選手に全裸裸足で競わせ、モザイクをかけてテレビ放送するしかない。
私は、道具の進歩が進むことでスポーツがつまらなくなるとは思わない。例えば間近で100M走を見たときに、道具に制限が設けられて100M10秒の走りを見るよりも、最新のスパイクとユニフォームを身につけた選手が100M9秒で走るのを見たほうが迫力があって面白いのではないだろうか?ゴルフを間近で見たときに、制限が設けられたドライバーで300ヤードのショットをみるよりも、良いドライバーを使っての400ヤードのショットを見るほうが迫力があって面白いのではないだろうか。道具の良し悪しによる弊害は、選手側には生じるかもしれないが、見る側からはあまり関係のないことのように思える。もちろん道具にロケットブースターでもついているのなら、また別の話*1になるが。
さらに、私がスポーツの道具の技術の進歩に肯定的であることにはもう一つ理由がある。それは、科学技術の進歩のためだ。歴史的に見ると科学は戦争によって進歩した部分が多い。戦争における必要性から発明されたものも多くある。しかし、それを理由に戦争を肯定するわけにはいかない。そこで私が思っているのが、スポーツの世界における最新の道具の研究などが戦争による科学技術の進歩に取って代われないかということだ。もちろん、記録を出せる水着が出来ただけでは直接我々の日常生活に反映されることはないが、そのようにして積み重ねたれた研究と技術は、また誰か別の科学者や技術者の手によって、我々の日常を豊かにする何かに転用されるかもしれない。少なくとも、道具ではなくトレーニングのためのスポーツ科学などは、我々の日常の健康や運動という形である程度の影響が見られている。

さて、そうした技術が進歩するためにはスポンサーが必要なわけで、スポンサーがつくには多くの人の関心がそのスポーツに向かなくてはならない。だから私のようにスポーツに無関心な人間は科学の進歩にちっとも貢献していないということになる。野球で贔屓の球団を応援しに球状まで足を運んだり、ワールドカップやオリンピックがあるときは時差を気にせず夜中でもテレビに齧り付いている様な人は、ある意味科学の進歩に貢献していると言えるだろう。

*1:別の種目?