SとMは結局のところ同義である。

 例えば性格がSだとする。つまりイジメるのが好きなわけだ。しかし世間はイジメる人に対して厳しいし、社会人たるものイジメることのできる相手は知れているし、可能なイジメの程度も知れているわけだ。そうするとイジメの対象は、いくらイジメても社会的に問題のない相手に落ち着く。すなわち自分自身だ。例えば自分は全然休みがとれないほど働いているのに、そんな自分をもっと働かせてやろうと企み、積極的に仕事を引き受けては自分をイジメてやるのだ。そしてイジメられて苦しんでいる自分をみて、自身のS性を満足させるのだ。


 例えば性格がMだとする。つまりイジメられるのが好きなわけだ。しかし他人に対してイジメてくれと求めるのは恥ずかしいし、得体の知れない相手にイジメられては、身の危険にさらされる可能性すらある。そうするとイジメてくれる相手は、自分の耐えられる限界を熟知している相手に落ち着く。すなわち自分自身だ。例えば自分は全然休みがとれないほど働いているのに、そんなに苦しんでいる自分が大好きで、さらに仕事を引き受けることで自分をイジメてやるのだ。そしてイジメられて苦しんでいる自分をみて、自身のM性を満足させるのだ。



この作品はフィクションであり、作者がSだとかMだとか、そういう話ではございません。多分…。