社会に出たっていじめは存在する。

 いじめにを苦に自殺する子供の話があちらこちらで聞かれるが、私の感覚からすると、何を今更…って感じです。そもそも子供だからマスコミがこぞって取り上げているものの、大昔から子供の何倍もの社会人がいじめによって自殺しているわけで、しかもそれは未だにマスコミに大きく取り上げられることはない。子供は死んではいけないが、大人は死んでもいいってか。それとも、子供の自殺は社会の責任だが大人の自殺は本人の責任だってか。確かに子供の世界のいじめと大人の世界のいじめでは質が違う。子供のいじめは得てして、面白半分だったり、いじめられる側の気持ちに対する想像力の欠如とか、そもそもいじめているという自覚がないとかいうものが原因だったりする。確かにこれらは教育方法によっては多少の改善は見込めるだろう。しかし社会人のいじめは違う。気に入らないという理由で、相手が非常に苦しむことを承知していて、もしくは苦しめるために、しかも相手が逆らったり逃げたりできない立場にあることを認識して、場合によっては最悪の結果になる可能性も充分に理解していて行われるのだ。仮に教育のおかげで学校からいじめがなくなったとする。それでも、いじめられて自殺するような子は、社会人になってからいじめに遭って結局自殺してしまうのではないか? それとも、社会人になってから自殺する分にはもう知ったことではないということか?
 そんなわけで、いじめに対する対応方法として、最低でも以下の三点を同時に行わなくてはならない。


・いじめられている子供たちの逃げ場を作る。
 現在いじめられている子は、いじめる側の意識改善を待っている余裕はない。まず逃げて生き延びて、それから様々な政策の成果が出るまでの時間を稼がなくてはならない。
・いじめる側の子の意識改善を図る。
 もっとも多いと思われるのが、本人にいじめているという自覚が無いこと。自覚がない子に「いじめをなくそう」と呼びかけても全くの無意味である。全てはそこからである。いじめはゼロにはならないだろうが、ある程度減らすことは可能だと思う。
・いじめられる側に強く生き延びる術を与える。
 これを行わなくては、社会で独り立ちしたときに結局いじめに耐えられなくなる。教えるべきだと思うことは例えば、「嫌だ」と意思表示を明確に行うこと、逃げることは恥ずかしくないこと、など。それから次第に、生きていて楽しいと思えるように世の中のことに関心を持つきっかけを与えてやるなど。



ああ、こんなことを書いたからって、別に私は会社ではいじめられてませんよ。……ん?仕事が異常に多いのは、実は上司によるいじめの表れだとか?