世の中にはそんなにプロフェッショナルばかりが必要なのか?

 大学時代の友人たちが集まって飲んでいる話などを聞くと、正直言って羨ましい、いや妬ましい。地元で就職したのだから仕方の無いことなんだけど、週末の休みの予定が立たない生活だと気軽に遊びに行く段取りは立てられない。仕事や、みんな仕事が悪いんやー。そうは言うものの、仕事がなければ交通費も飲み代もままならないわけで。それならば、酒を飲まなくてもいいから仕事もしたくないと思っても、実際にはそんなこともできない。仕事がなければ、飲み代どころが生活費も稼げないのだから。つまり、財閥のご子息だとか人生投げるかのどちらかでなければ、遅かれ早かれ働く以外の選択肢は無くなってしまう。そして定職に就いたならばもう、自由はない。私は給料半分でいいので月の半分だけ働かせてくださいってわけにはいかない。
 本当の豊かさって何だろうと思ったよ…。
 仕事そのものに生きがいを感じるならともかく、そうでない人にとっては、労働ってのは生活のためにするものであって、自分に必要なだけのお金があればそれ以上は働かないで済むってのが豊かな生活ってもんじゃなかろうか。そしてお金がなくなったらまたいつでも働ける。そんな社会がいいな。自由に就職できて自由に退職できる。そんな世の中であるならば、就職難を苦に自殺したり、リストラされたのを苦に自殺したりなんて人はいなくなる。女性も出産して子育てに専念し、子供が充分に自立したと思ったらいつでもまた働ける。会社側も社員の夏休みだの産休だの気にする必要はなくなる。簡単に就職退職ができるなら、夏休みが欲しい社員は会社を辞めて、二ヵ月後くらいにまたどこかに就職すればよいのだから。
 テレビで時々見かける「アイタピャーピャー」とか言ってる南の島の豊かな人々は、きっと食べるのに必要なだけの狩りとか採取とかをすれば、それ以上は働かないと思うし、それでいいのだと思う。

 あー、なんか疲れてるのかな?