神様は見ている

 8月になってから、朝の通勤時にいやに道が空いている。信号三回待ちくらいしていたところがスイスイと一度で抜けれたりする。ああ、私の働き振りを気の毒に思った神様が、私の通勤が楽になるようにと、ささやかながらも慈悲を施してくださったのだろう。おかげで朝の通勤に費やす時間が8分くらい短縮された。朝の8分は無茶苦茶貴重である。おかげで優雅な朝を過ごしている。
 それにしてもなぜ道が空いたのか。神様のおかげなどという解釈は私には似合わない。原因究明現状分析こそが私の信条。むむむ…。8月に入る頃からだから、盆休みにはまだ早い。学校は夏休みになったが、朝の時間帯に通勤するのは学校の先生ばかりではないので、影響が大きいとは思えない。めぼしい道路拡張などもないはずだが。
 そして私は気付いた。通勤ラッシュをなくすには大きな影響力など不要だったのだ。ほんの、ほんのわずかな変化で、道路はがらがらに空いてしまう。例えば信号が青になったときに10台の車が通り抜けることができると仮定すると、車が11台来るようになると1台通り抜けられなくなる。それを30回も繰り返せば車は30台並ぶことになり、めでたく信号三回待ちとなる。ところがわずかな影響で、車の数が一割*1減ったとすると、10台通り抜けられる信号に10台しか車が来ないので、もう永久にラッシュには成り得ない。結局、ラッシュをなくすには大きな変化など必要なく、ほんのわずかな変化で充分なのだ。
 では、わずかな変化とは何か。答えは簡単。夏休みだ。今やお盆に休みとなる企業は少なく、大抵の企業は交代で一週間程度の休みを取る。時期は大体7〜9月頃。しかしどうせ夏休みをとるならお盆周辺の方が良いと思う人がやや多いだろう。またお盆が休みの会社にしても、暇で有給がたっぷり残っている人ならばそろそろ休み始める時期かもしれない。そんなわずかな変化が、きっと一割程度の車の減少を引き起こし、結果として道がガラガラに空いたのだろう。
 そんなわけで快適な朝の通勤は、神様のおかげではなく人為的なものだった。しかしそうと分かったとたん、何だか優雅な朝も空しくなってしまった。他の会社の人たちは交代で夏休み。私は毎朝8分のゆとりと引き換えに夏休み無し。どんな因果律が世の中を支配しているのか…。そうだよなぁ。神様が私の働き振りを見てくれているなら、こんなケチ臭い慈悲でなく、お盆周辺にたっぷりと休みを取らせてくれるはずさ。神様、よ〜く見ててよ。

*1:この仮定の場合、一割どころか九分一厘の減少で充分だが…