金の貸し借り

 冨平様のブログ(id:hanada_tomihei)を見て、金の貸し借りというのはつくづく大変で恐ろしいものだと思った。それは、親しい間柄であればなおさらである。もちろん普通に返せれば問題はない。しかしながら必要な額が大きければ大きいほど親しくなければ借りることはできず、額が大きければ大きいほどそれまでの関係ではいられなくなる。
 貸す方の立場からしてみれば、金の返済能力にかかわらずこれまで通りの友人でいて欲しいと思うことだろう。しかし借りた方からしてみれば、借りた金を返せなくなっては友人に会わせる顔がない。多額であれば、親しければ、なおさらだ。こうして友人関係は崩れていく。もちろん悪いのは借りた側の態度で、例え会わせる顔がなくとも面と向かって謝罪をしに行かなくてはならないのだが…。
 私も頼まれて金を貸したことがある。その中には、もう決して返済してもらえなくなったものがある。金が惜しいかと訊かれれば惜しいと答える。当然だ。別に生活する金に困っているわけでもなく、夢をかなえるために必要だというような金でもない。しかしそれでも、それだけの金を余分に稼ぐには数百時間という時間外労働が必要になる。体力と精神と自由をすり減らして得た金なのだから、惜しくないはずがない。しかし。私は一度も彼に催促をしなかった。今返済できないことが分かっていたからだ。だから、返してくれるのは10年後でも20年後でも30年後でもよかった。少なくとも当時の私にとって必要のない金だったのだから。けれども、今にして思う。私が気にしていなくても、もしかしたら彼は気にしていたのではなかろうか。返済するあてが現状ないことが、彼の精神を追い詰める一因になっていたのではないだろうか。今はまだ返さなくてもよいという意志を明確に伝えていた方がよかったのではなかったか。むしろ心を鬼にして貸さなければよかったのかもしれない。あるいはもっと多く貸してやればよかったのかもしれない。
 もちろん真相は分からない。私の貸した小金など関係なかったのかもしれないが…。
 はっきり言えば私はけちである。使うあても目的もないのに働き、体力と精神と時間を削ってわずかばかりの金を稼いでいる。ばかばかしいと思いながらも、職すなわち稼ぎを失うことに対し内心恐怖を感じている。それは、返済のめどもないまま人から金を借りなくてはならない事態に陥ることを恐れているのかもしれない。