愛煙家はそんなに嫌われなくてはならないのか

 id:hanada_tomihei こと冨平さまの6月23日のブログで、煙草に対する世の中の過剰な反応が書かれていた。私もばかげていると思う。私は煙草を吸わないし、近くで吸われることを好ましく思わないが、それでも最近の世間における愛煙者への過剰反応は辟易している。
 確かに、煙草の煙は周囲の人間にも迷惑をかけるから、喫煙所などを設けて吸える場所を制限することには賛成だ。しかし、今の世間の動きは、どうも両方の立場を尊重するための制限のようには思えない。愛煙者を弾圧するための制限のようだ。その証拠に、喫煙所の場所は年々減少していき、全面的に禁煙となっている場所が増えている。何もそこまでしなくてもいいじゃん。いい年した大人が自分の意志で吸うのであり、煙草税もたっぷりと納めてくれているのだ。むしろ吸わない私からしてみれば、たくさん税金を納めてくれてありがとうございます、ってなもんだ。
 未成年者が吸うことには問題があるかもしれない。自身の健康に責任を取れるという覚悟と判断力とがあるかどうかという点と、親の稼いだお金で体を不健康にするという点においてだ。できれば学校の教育に盛り込んでいただきたい。真っ黒でどろどろになった肺の写真などを見せてあげて欲しい。そしてそれでもなお本人が大人になってから煙草を吸いたいと言うのであれば、それはもう個人の自由だし、その意志を尊重してあげるべきだと思う。
 飲酒運転に関する罰則は厳しくなったが、少なくとも酒を飲むことそのものが世間から弾圧されるような風潮にはなっていない。しかしよく考えてみよう。煙草の煙が周囲の健常者の健康まで損ねるというのならば、酒に酔って他人を怪我させたり殺したりする人はどうなのだ。健康を損ねるなんてレベルの話では済まない。そこまで極端でなくとも、酒に酔って他人に迷惑をかける人は世の中に数多くいる。酒はよくて煙草は駄目だという明確な理由はいったい何なのだろう。
 蛇足だが、酒のない文化はあっても煙草のない文化はないと言われる*1。本当かどうかは知らないが、例えば一部のエスキモーなどには煙草の習慣はあっても酒の習慣はない。もしもこの愛煙家に対する過剰な弾圧が、単にアメリカの風潮に流されただけのものであるならば、なんとも嘆かわしいことである。
 

*1:日本では禁止されている大麻なども含めた広い意味での煙草だと思うが…。