今日の読売新聞より

 私は昔から新聞があまり好きではない。いいことが書いてあるから読みなさいと親には昔から言われていたが、大抵のことは親の言うことをよく聞く子供だった私は無視していた。(きちんと選べば)漫画の方がよほどためになると思っている。社会人になった今でこそ、多少世の中の動きに関心を持つようになったので、(極めて稀ではあるが)自主的に読むこともある。それに、新聞社の立場や意図をある程度見抜けるようになった今では、新聞を読むこともさほど有害ではなくなった。そういうことができない頃に盲目的に新聞を読んでいなくてよかったと最近思う。
 前置きが長くなりました。で、我が家の読売新聞の今日のコラム欄。
 売り手と買い手と世の中との三方が喜ぶような商売をするという一般的な経営哲学を紹介した後、以下は抜粋である。

小紙がかつて消費税(売上税)導入を紙面で伝えたとき、読者という買い手は喜ばなかっただろう。儲かるはずもない。高齢化社会の到来に備えるにはこれしかないと信じ、新税が歓迎されないのを承知の上で世に問うた。世の中という「一方」のためには時に、買い手の不興も売り手の損得勘定もあえて顧みない。どの新聞も、テレビも、ラジオも、報道機関、言論機関として、この曲げるに曲げられぬ"背骨"をもっている。(以下略)

 読者から嫌われようと自らが損をしようと、新聞を初めとするメディアは世の中のために信念を貫かねばならない。とでも言いたげな書き方だ。
 しかし内容が矛盾に満ちていることは明らかだ。第一に、消費税導入を決めたのは政治家であって新聞社は関係ない。第二に、読者が喜ばないのは消費税導入に対してであって、その記事を載せている新聞に対してではない。第三に、第二の理由から読者が新聞を買わなくなるという結果には繋がらないので新聞社は損をしない。

 どうやら読売新聞の"背骨"とは、他人の手柄を自分の手柄のように見せかけることらしい。多くの種類の新聞が出回っている中で、それぞれの新聞の視点・立場・切り口などから読者は良し悪しを判断し、あるいは贔屓にしたり嫌ったりする。しかし上に紹介したものはそういう次元の話ではない。これが日本の売り上げ一位の新聞の一面に載っているのである。腹立たしいのを通り越して、ただただ悲しくなる。