夢のない話

 宝くじを買う人間が周囲にはたくさんいる。別に何を買おうと各人の自由だけれど、個人的には馬鹿くさいと思っている。ギャンブル的要素があるものは世の中にたくさんあるが、宝くじは換金率があまりに低すぎる。競馬や競艇などの半分程度だろう。どうせギャンブル的な楽しみを求めるならば、換金率が高い遊戯の方が当たる確率も高い。こういうことを言うと、周囲の人々からは決まって「夢がないやつだ」とか、「宝くじは庶民の夢だ」とか言われる。だが果たして、宝くじには本当に夢があるのか。
 例えば一億円当たったとする。確かに大金だし、嬉しい。しかしこれは夢のある金額だろうか。年収500万円×20年と考えれば、私くらいの年齢ならば、たかだか一億円くらいでは一生暮らすことはできない。ならば相変わらず会社勤めを続けなければならない。まだ若さが多少なりとも残っているこの時期を、結局仕事で費やさなくてはならない。しかし一度会社をやめてしまえば、一億円がなくなる頃にまた働き始めようというわけにもいかない。特殊な資格や技術もないただの中年が、どうしてまともに給料をもらえる仕事に就けようか。
 一億円で家を建てるという方法もある。東京の真ん中に住んでいるわけではないから、一億円あればそれなりの広さの土地とそれなりの大きさの家も建つだろう。しかしそこまでだ。やはり一生会社勤めを行わなくてはならない。そこに転勤でも命じられたらどうだろう。一戸建てを建てても遠く離れた地方に住まわなくてはならない。しかし稼ぎがなくなっては困るので社命にも逆らいにくい。こうなると、家を建てることにもあまり夢が感じられない。
 何か事業を始めるという方法もある。しかしこれも問題だ。資本があれば商売が成功するというものではない。商売を成功させるような非常に具体的且つ現実的なアイデアを日々温めていて後は資本さえあれば何とかなる、なんて庶民がいると思います?それに本当にそんな良いアイデアと商才を持っている人は、宝くじで一億円当てなくとも、何とか二三百万くらいの金をかき集め、それを元手に既に事業を始めており、億万長者の道を既に歩み始めているだろう。
 ならば三億円くらい当たればどうか。年収750万円×40年。これなら会社勤めをしなくとも一生暮らしていける。しかし、贅沢に暮らせるほどの金額でもない。つつましい生活をするならば一生暮らしていける。まぁ、夢のある生活というほどの金銭的ゆとりはなさそうだ。家を買っても事業を始めても、一億円よりはもちろん良いが、根本的なところに違いは見出せない。
 それならば例えば、家族で外国に旅行をするとか、よい車に乗るとか、そういう夢ならばどうだろう。確かにこれらの夢は一億円あれば充分にかなうが、宝くじに当たらなくとも充分に手が届く金額だ。節約に努めながらまじめに五年くらい働けば可能ではないかと思う。
 このように考えていくと、宝くじに夢があるとは私にはどうしても思えない。もちろん当たれば嬉しいだろう。しかし「夢」と呼べるような金額が得られるとは思えない。だったら宝くじのような換金率の低いギャンブルに手を出すのは馬鹿げているとやはり思ってしまうのだ。