心に棚を作れ!!

 上の言葉は私の学生時代、サークル内で流行っていた言葉*1だ。hatatico様のブログ*2http://d.hatena.ne.jp/hatatico/)を読んでいたら不意に思い出した。
 これは非常に意味深い言葉で、確かに己のことを棚に上げることができなくては、他人のよくないところを誰も指摘することができなくなってしまう。もしも一点の非も曇りもない聖人君子がいたとして、「私は後ろめたいことが何もないから他人のよくないところを指摘できるのだ」と思った時点で既に聖人君子ではない。
 しかし一方で、「自分のことは棚に上げて…」とよくない意味で使われることも事実だ。結局大切なのは「自分のことを棚にあげるかどうか」ではなく、棚に上げたときの心構えなんだろう。「私のようなものが指摘するのは心苦しいのだけれど、それでも相手のよくないところを見過ごしたままにしておくのはもっとよくないので、恥を忍んで指摘させていただきます」という謙虚な姿勢で自分のことを棚に上げるのか。それとも、「逆ギレした結果として」自分のことを棚に上げて相手のよくないところを指摘するのか。
 そしてもう一つ大切なのが、その指摘した内容が正しい*3かどうかだ。いくら謙虚な姿勢で指摘を行っても、それがまるで的外れであれば結局無意味であったり、他人に不要な混乱や不快感を与えてしまう。
 hatatico様もブログ内で、「自分のことは棚上げにして人を一方的に断罪する姿勢」が許せないと仰っておられる。そこには己に対する反省も謙虚な姿勢も論理的正しさも窺えなかったから許せないのであろう。私も同意する。皆が心の棚を正しく使ってくれることを望む*4

*1:某漫画で使われた名台詞

*2:他ブログで行われた「荒らし」に関する分析と考察が述べられた鋭いブログ

*3:正しいという言葉を使うと、何をもって正しいとするのかと突っ込まれてしまうので、ここではあまり厳密な意味でなく、「筋が通っている・理にかなっていると不特定多数の人間が感じる」くらいの意味合いで捉えてください。

*4:これも自分のことを棚上げした発言である。